ロンドン留学体験



50歳の茶飲み話~千曲川のほとりで~
March 03, 2016
ロンドン留学のススメ その1 より


私のデスクの前には、1993年に取得したLondon Guildhall University(現London Metropolitan University)のEnglish with Business Studies のCertificate 証明書が飾ってある。

ロンドンのビジネス街に位置するこの大学は、最初は専門学校だった。それが私の滞在した頃には大学となり、現在は他の大学と合併しロンドンの中にキャンパスが点在する国立大学となっている。

現在でも7000人、155カ国から留学生が通う、大規模な大学だ。

私は当時、海外の社会人向けの英語を勉強しながら学べる短期のビジネスコースにいた。
そのコースに入学するには、日本での大学の学士証明書、語学レベル試験ケンブリッジ・ファーストサティフィケート(TOEICで約760点、TOEFLで約550点レベル) が必要な上に、自国で働いて部下を持った経験あるというのが条件だった。もしくはロンドン在住の高校卒業者だ。

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記:寺澤順子  

2016年03月03日 Posted by ライティング・サポーターズ at 19:02Comments(0)NPO・国際交流・インバウンド仕事・ビジネス・起業・働き方

NPOの行動力はどこから来るのか?

長年取材していると、NPOって、なんでこんなに行動力あんの?と正直驚かされています。
お金じゃないなら、なんでなにがこの人たちを動かしてんの? 

人は「自分は何のために生きているのか」を追求する生き物です。生きる実感を味わうには、もうお金だけでは我慢できなくなっているのが人間です。しかも、企業や行政等の大組織に入ると、人間関係やルールや数値に翻弄されて、自分のやりたいことを自由な発想でストレートにできないのですよ。

目の前に困っている人がいるから助けたい。そうだ「お助け隊」作って助けちゃおっか。
子育てや介護でスポーツもできない女性たち。だったら朝集まってヨガやっちゃおっか。
障がいがあるから一人じゃやりたいことができない。じゃ、みんなで集まってやっちゃおっか。

みたいに・・・実にフットワーク軽く、正直「人助け」って重く考えすぎてるイメージはないのです。もちろん根底にある社会問題は重いですよ。それを解決するNPO理事の正義感やリスクは尋常じゃないです。でも、なんだか、NPOのみんなは楽しそうなのですよ。NPOのみんなというのは有償のスタッフもいれば、無償のボランティアもいます。どちらも自分の選択です。

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記:寺澤順子
  

2014年10月13日 Posted by ライティング・サポーターズ at 17:36Comments(0)NPO・国際交流・インバウンド

ノーベル平和賞マララさんの言葉が心に刺さる

「みんなで本とペンを手に取りましょう。本とペンは私たちの最も強力な武器です。1人の子供と1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えることができるのですみんなで本とペンを手に取りましょう。」
ノーベル平和賞に感動!! 人権に関心ある自分にとっては大変心躍る結果だったはずが・・・。

我が身を振り返ると・・・・17歳ってことは長野五輪の前年に生まれたわけで、なんと息子と同じ歳。
本もろくに読まない暇さえあればゲーム、ペンで自分の意見を書く事がまったくない。信頼できる教師がいない、というかそもそも信頼しようとしない。それどころか学校に行きたくない。勉強ウザイから。ここまで恵まれた環境にいるのに、どうして?と子どもじゃなくて自分に問いたい。「教育が一番」って思って海外留学もし、NGOも立上げ教育支援もして、人権の本を読んだり、取材したりして世の中に物申してるくせに。「全く偽善者だよお前は!」 と、昨晩から心の声に怯える思いがしています。

まあ自虐ネタはこのくらいにして・・・

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記:寺澤順子
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2014年10月12日 Posted by ライティング・サポーターズ at 06:54Comments(0)NPO・国際交流・インバウンド

小さな町が外国人誘致の一歩(長野市松代)

※筆者が執筆した長野市民新聞「カムカム外国人」(2014.9.30掲載)を大きく編集したものです。

 我が家から千曲川をちょっと下ると長野市松代があります。武田信玄が建てた松代城を核に江戸時代には真田十勇士幸村の兄が城主となり、松代藩真田十万石しとして全盛した松代藩の城下町。城も消失してしまい、松代空襲もうけ、産業が廃れ、長野市に合併して、今はその存在感が薄れつつあります。それでも、「先進的で知的で家柄がいい逸材ぞろい」として私が小さい頃は、松代出身の人といえば一目置かれたものです。実は私の祖母は松代横田家出身だと、まずは自慢しておきましょう。

 メーン通りはシャッターが降り、空き店舗や空家が目立ち、すっかり寂れてしまった松代。そんな中、長野市が2010年松代イヤーに指定しNPOらと連携してまちづくりに力を注いできました。観光情報サイトやまち歩きアプリ、インターネットテレビ「松代テレビ局」、まち歩きセンターなどを開設。博物館や美術館、真田邸などの屋敷の整備や町並みの保存や整備が進み観光客から人気を集め初めています。残念ながら電車が配線となった代わりに、松代駅と城の跡地のエリアが広く開け、イベントも開催できるスペースができました。

 まちづくりの立役者として、NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会は、松代まち歩きセンターを拠点に、歴史やまちの文化の掘り起こしをし、NPOや市民団体のネットワークをつくり、まちづくりのNPOの成功事例として全国から視察が相次いでいます。このNPOがほぼ毎月企画する街歩きのイベントは驚くほど多くの市民がやってきます。

さてここからがいよいよ本題
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記:寺澤順子
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2014年10月03日 Posted by ライティング・サポーターズ at 06:07Comments(0)NPO・国際交流・インバウンド

御嶽山の爆発に驚いたのは信州人

オンタケサンという響きは、長野県人の私の世代なら子どもの頃から体に染み付いているはずです。そう、盆踊りのときの、「木曽節」。今回の御嶽山爆発のニュースで一番驚いたのは長野県人だったかもしれません。

だって、まず御嶽山が火山であり爆発する?? しかも3000メートル級の山だったなんて。場所ですら岐阜県境の王滝村って位置を即座に言えた人はいたでしょうか。長野県って長いので特に私の住む北部の人たちには馴染みが薄い・・・という印象でした。

信仰の山として昔から男性がよく登っていたというのは、母から昨夜電話で聞いた話です。今は亡き祖父が晩年毎年登っては、「今年も登れた」と喜びを子どもに話していたそうです。昔は楽しみではなく、信仰のために人々は登っていたのです。山登りの原点とそのリスクを思い知らされた災害でした。

数百人もの登山客が1日に登っていた上、若い登山者の快晴の美しい青空に映える紅葉とともに書かれたつぶやきが・・・爆発直後にTwitterやFacebookでシェアされ拡散しました。胸が締め付けられる思いが広がりました。臨場感あふれる登山者の撮った映像を闇雲に検索し続けたのは私だけじゃなかったのではないでしょうか。

さて、海外ニュースサイトにも即座にニュースがアップされました。王滝村や長野県のウェブサイトには外国人への観光案内としてMt.Ontakeが紹介されている上、観光ガイドブックや観光地紹介サイトにも英語で詳しく御嶽山は紹介されていて、今回、外国人観光客が被害にあったという報道がないことが不思議なくらいです。

長野県の外国人向け観光サイトGo!Naganoにも即座に爆発のニュースを掲載し、市民で在日米国人がボランティアで問い合わせに今も応えています。

山の日を制定して、登山客として海外からも観光客を呼び込もうと長野県はやっきになっています。災害の際に外国人観光客への対応はどうするのか・・・。海外からは今や「地震や津波や原発の国・・・そして火山も爆発する国なのか!?」と、恐れられています。観光客を本当に海外からバンバンと呼び込む必要があるのでしょうか。なんだかわからなくなってきました。

記:寺澤順子
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2014年09月30日 Posted by ライティング・サポーターズ at 23:14Comments(0)NPO・国際交流・インバウンド